看護師になってよかった〜人の死に立ち会う尊い仕事〜

看護師として働いていて楽しいことも辛いこともたくさんあると思います。患者さんや家族に感謝されたり、患者さんが元気に退院する姿を見たりすると看護師になってよかったと思えると思います。それとは逆に患者さんの死に立ち会う時はいつになっても慣れず、辛いと感じる人が多いのではないでしょうか。しかし、それも看護師としての職業の魅力なのかもしれません。今回は看護師は人の死に立ち会う尊い仕事という観点からお話していきたいと思います。

何も感じないよりいい

担当していた患者さんがなくなり、精神的にショックを受け、泣いてしまったという経験は誰しもあると思います。患者さんの家族の前で泣いてしまった、何度立ち会っても泣いてしまうなど、自分は看護師失格なのではないかと悩んでいる人もいると思います。しかし、人の死は誰しもが怖さや悲しさ、辛さなどの感情を抱くものです。何も感じない人より、何か感じる人のほうが人として自然であり、優しい人なのです。ですから、もし今、患者さんの死に涙しているなら、そんな心の優しい、感受性豊かな自分を褒めてあげましょう。

とはいえ、看護師という職業柄、仕事として割り切られなければならないと考えてしまうと思います。しかしながら、そう簡単に仕事と割り切ることはできないと思います。そこで、割り切るのではなく、受け入れることから始めてみてはどうでしょうか。患者さんの死を受け入れることはその人が生きたことを受け入れることです。患者さんが精一杯生き抜いたことを受け入れ、自分自身の人生の糧にしましょう。

自分のライフプランを考えよう

患者さんの人生の受け入れ方には様々あると思いますが、自分のライフプランに役立ててみてはいかがでしょうか。看護師として働いているといろいろな人の死に立ち会うと思います。その死に方は人それぞれで、家族も含め様々な選択をしています。その人がどのように生きてきて、どのような選択をして、何を思ってその死を受け入れたかについて考えてみてはどうでしょうか。また、その時の家族や友達はどう思ったか、その選択を受け入れたかについえ考えてみてはどうでしょうか。そうすることで、自分がどのように生きたいか、どのように人と関わりたいか、どのような選択をしたいかについておのずと見えてくると思います。そしてそのために今何をすべきか、いつ何をすべきかについて見えてくると思います。

感謝の気持ちを養おう

患者さんの人生を受け入れると一人の人が生きていく中で多くの人が関わり、様々な感情を抱きながら、支え続けてきたということに気がつくと思います。それは亡くなる時に多くの人に看取られた人も、家族や友達に看取られることなく亡くなってしまった人も同じです。一人で生きてきたたように思えて、実は多くの人に支えられてきたことに死ぬときにはじめてきづいたという人も少なくありません。看護師はそのことに人生のはじめ〜半ばで気づける職業です。人と関わることは容易ではなく、ケンカすることも腹が立つこともあると思います。しかし、その経験もその人との関わりも全てがあなたの人生を彩ってくれています。そのことに気づけたなら自ずと感謝の心が養えると思います。また、そんなことに気づかせてくれた患者さんやその家族、そして、人の死に立ち会う尊い看護師という仕事へ感謝できると思います。今日、もしケンカしたり、腹が立っても、仲直りした時や腹の虫がおさまった時に、それでも支えてくれていることに感謝できるといいですね。

人生は自分が思っているよりあっという間です。気づいたら1ヶ月や1年が終わっていたという経験は少なくないのではないでしょうか。自分が生きてきた年月のあと何倍生きられるかは誰もわかりませんし、もしかしたら明日死んでしまうということもありえます。自分の人生を後悔なく生き抜けられるように、患者さんの死を受け入れ自分自身の糧にしてみてはいかがでしょうか。それが、亡くなられた患者さんやその家族にとっても救いとなるかもしれません。

看護師専門用語解説 房室ブロック

心房から心室への興奮伝導が遅延、途絶するものを房室ブロックといい、1度、2度(ウェンケバッハ型、モビッツⅡ型)、3度(完全房室ブロック)にわけられます。このうち、1度房室ブロックとウェンケバッハ型2度房室ブロックは健常人にもみられることが多いです。症状としては動悸、失神発作、心不全があります。治療にはモビッツⅡ型2度房室ブロックと3度房室ブロックには、徐脈や心停止による心拍出量低下から様々な症状を引き起こしてしまうため、ペースメーカーを埋め込みます。ペースメーカーの適応がない房室ブロックの場合にはイソプロテレノール、アトロピンといった薬物での治療となります。